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【2017/10/19 11:02 】 |
群馬篆刻協会第二十回展
2a0d132c.jpeg

念中有九十刹那  4,5cm  青田石

 

 
平成元年に群馬県に越してきた。

第二回展を前橋の市民文化会館で拝見して、阿部裕幸氏と出会い、

第三回展から出品させていただいたような記憶である。

今年で二十回展。

おかげで作品を作る姿勢が出来たり、印友を持つことも出来て、少し世界が広がった。


「念中に九十の刹那あり」は、念をキーワードにして何か良い語句はないかと、

大漢和から探してきた。 仁王経が出典。 仏語である。

念は一瞬のきわめて短い時間をいう。

念念となると、刹那刹那に同じ。

刹那はインド語の漢訳語ということで、念と刹那は同じ意味になる。

しかしその極少の時間の中にも、九十もの刹那がある、というのが仏教の考えらしい。

また念には、二十に通じて使うことがある。音通ということ。

二十五日を念五日というように使う。

ということで裏の意味で、念には第二十回(20年)というニュアンスを持たせて使ってみた。

九十という数字は、会員数が以前には九十人近く居たよね、という思いである。

楽しくもあり、刺激にもなり、というような節目の出来事や作品が九十もあった、

という意味でも良いだろう。

九という数字は中国では極限を意味すると聞いたような。

きっちり極限を指すなら九十九なのだろう。

九十は大体おおよその意味での極限かしらん。語呂もあろう。

本当にたくさん、くらいの意味でも良いか。

思い出多い群馬篆刻協会展での二十年であるが、一作一作、毎年毎年と苦労して過ぎてきたせいか、

あっという間の二十年でもある。
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【2011/07/02 15:22 】 | 書と篆刻
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