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【2017/11/23 01:51 】 |
お富士山古墳の「下山氏之壽碑」

お富士山古墳に建っている「下山氏之壽碑」。

書が良いので載せておきます。

書いた人は、園田寂水。

江戸末期から明治の人で、伊勢崎の臨済宗円福寺の住職だったようです。

出身は岐阜の大垣。

書は山岡鐵舟に師事した。

下山氏は神道扶桑教の講師だったようですが、宗教の壁を越えて、

在の書の名手に揮毫を依頼したということでしょうか。









下山氏之壽碑    扶桑教管長宍野健丸篆額
 
(+)行君姓下山氏幼名照吉後改外平天保六年五月生於上野佐波郡三郷村安
堀幼時多病乃祈於村内富士浅間大神病得全愈君深感神徳奉神益篤萬延元
年始詣富士山賽恩爾来不敢怠至明治三十五年登嶽凡十回行者所執無不修
験其従事于教法始於明治七年俛焉尽力循々不倦明治二十一年進教導職試
補其明年補訓導明治二十三年補権少講義其明年進少講義明治二十五年補
権中講義明治二十八年補中講義並第六十五教区取締明治三十五年補権大
講義其奉神布教不倦不変如此可謂篤矣是以其部下諸氏相謀欲建一碑以永
備于不忘来嘱文於余大凡敬神之篤出於我邦人之特性然神道幽遠不接於耳
目如信如不信亦常人之状也惟其為利害迫于身而後有所感焉則其志始懇至
矣今祈病得愈則其自信之篤非尋常所比由此観之則其事如小而其為所得廣
矣以此心布教人之信従孰謂不宜哉余嘉其志略叙其始終以與之云
 明治三十五年十一月二十二日

  扶桑教講師少教正土生葦洲撰文   寂水園田定書  千葉掬刻刀


(碑文を活字に起こしてみました。)



画像の方が見やすいかな。





















書き出しの部分から、一行を3枚に分けて撮っています。5~7行目まで。














この刻者の技も、一流のものですが、調べがつきません。





下山氏のこの区域における神道扶桑教の熱心な布教、また教学の功をたたえて、

部下の者たちが計らい建碑したもののようです。

壽碑というのは、まだご本人が生存中にその功をたたえたということでしょう。

撰文は、土生葦洲。





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【2015/12/29 00:01 】 | 鑑賞
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