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【2020/04/06 01:16 】 |
もう一人の鳴鶴ー藤田茂吉






(1130×515mm)
 
  
  
  

聞天楼(縦40mm)

 
 


鳴鶴山人(27mm) 九皐外史(40mm) 








随分と以前に、印の良さに惹かれ、日下部鳴鶴の若い時の作品かしらん、と思って、

マクリで求めたものである。

しかしいくら調べても、日下部鳴鶴に「聞天楼」「九皐外史」の斎号・別号は出てこなかった。

最近にネット検索で、改めて調べてみたら、なんとか藤田鳴鶴・藤田鳴鶴なる人物にたどり着いた。



藤田茂吉/藤田鳴鶴

1852~1892。大分県の出身。新聞記者、政治家。号は鶴谷山人・九皐外史・鳴鶴居士・聞天楼主人・翠嵐生など。明治4年(1871)上京し、慶應義塾に入り、明治8年卒業とともに福沢諭吉に認められ、推薦により「郵便報知新聞」に入社、主筆として活躍する。自由民権説を唱え、国会開設・自由民権の議論を展開した。論説・小説・詩などで活躍する。明治14年東京府議会議員。明治23年・25年、衆議院議員を2期。



相当に高名な人物であった。

書道界では日下部鳴鶴しか知らないが、社会的にはこちらの鳴鶴の方が有名であろう。

ちなみに卒年は1892年、40歳の若さである。

ところでこの藤田鳴鶴の娘婿が、相馬御風(1883~1950)であることを知ると、

何やらまたドラマが展開しそうである。

とはいえ御風が糸魚川から上京して、早稲田大学に入るのは1902年のこと。

藤田鳴鶴本人との出会いはなかったであろうと思う。


「鳴鶴」「九皐」「聞天」の語は、詩経・小雅の鶴鳴なる詩が出典。

     鶴鳴于九皐   鶴は九皐に鳴き

     聲聞于天    声天に聞こゆ

 皐は沢、きしべ。九皐は幾重にも曲がりくねった奥深い沢。そこで鳴く鶴の声が、

 大空にこだまして聞こえて来るよ。

 賢人は身を隠しても、その名声は広く世間に知れ渡るという例えにされる。








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【2014/03/12 01:00 】 | 鑑賞
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