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【2020/04/05 15:12 】 |
巌谷一六の書画と用印








  画蘭図                半切二行書            画筍図







画筍図  用印

「弌笑」「修字誠卿」「一六居士」「噏霞僊史」







二行書  用印

「得意少人知」「修字誠卿」「金粟」







画蘭図  用印        「閒居養志」










 巌谷一六。天保五年~明治三八年(1834~1905・72歳)

名は修、幼名は弁治。字は誠卿。一六は号、

他に小梅、迂堂、金粟道人、噏霞楼道人、呑沢山人等がある。

近江水口藩の生まれ。侍医の家業を継ぐも、勤王の志士と交わり、

維新後、新政府に史官として入り、明治二四年には勅撰により

貴族院議員にまで累進する。

幼児より書を好み、中沢雪城に学び菱湖風を能くし、

明治一三年楊守敬の来朝時に、日下部鳴鶴・松田雪柯とともにその門を叩き研鑽する。

以後書風は一変して独特の一六風を作り上げた。

また画や詩にも長ずる。        <『書道辞典』ー佐藤祐豪>





一六の作品が三点ある。(もう一点あったのだが、某氏のもとに行っている。)

書や画の楽しさはもちろんだが、用印の面白味もある。

最近改めて見ていて、河井荃廬の刻によるものではないかと思っている。

画筍図の「修字誠卿」印は、同じものではないが似た刻風のものが、

河井荃廬の作品集などで見ることができる。

西泠八家風の刻で、二〇歳代の刻風である。

「噏霞僊史」は鄧派の風で、後の「忠孝伝家」の作品にも通ずるのではないか。

二行書の用印の落款印二顆は、呉昌碩の刻風に傾倒したころのものか。

鳴鶴の用印では、さらに呉昌碩風のものを見るが、

その始まりのころのものかと見ている。

とはいえ弱気が過ぎる感もあるが・・・。

画蘭図の用印は彼の刻風ではないだろう。

これは憶測の話。別の篆刻家の刻ということもあり得る。

『巌谷一六用印印譜』というものは、あるのかないのか。あまり聞いたことがない。

あれば見てみたいものである。














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【2014/11/22 00:01 】 | 鑑賞
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