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【2020/04/06 01:05 】 |
阪正臣の葉書


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鳳見先生より阪正臣の葉書を頂戴した。

河井荃廬の刻になる住所印が捺されているが故である。

感謝至極。


「赤阪」 「榎坂」 「阪正臣」 と阪と坂の文字が並ぶ。

「榎坂」の坂は、阪の字なるところを、隣の「阪正臣」と重複するゆえ、坂の字にしたものか、

と『聖筆』誌の拙稿に書いたのだが、

どうも榎坂の表記は、阪の字になっているものが見当たらない。

むしろ「赤阪」の表記は、東京では「赤坂」である。

これを「赤阪」としていることの方が不思議である、と思えてきた。

関西では「阪」の文字を使うことの方が、一般的である。

阪正臣は愛知の生まれの人。愛知には「赤阪宿」が豊川にある。

また楠木正成公を詠んだ詩を残していることから、その生地の河内「千早赤阪村」に因んで、

自身の住所、東京の赤坂を尊崇の思いからあえて赤阪と表記したものか。

などとあれこれと考えてみている。

識者のご教示を得たいところ。


刻は、書風、刻風、字間を大きくとった章法と、見ていて飽きないものである。

宛名の吉田頼吉氏は、松本の高名な教育者である。

もちろん阪正臣の筆跡にもほれぼれする。


30歳くらいのときに大宮の江川吟舟先生を、菘翁見たさに訪ねたことがある。

菘翁も実に勉強になったが、しかし記憶に大きく残っているのは、見せてくださった阪正臣の日記である。

日記帳はどの頁も端正な細字で乱れもなくビッシリと書かれていた。

最初の頁から年末の最後まで、乱れがない、ように見えた。

ここに載せた葉書の文字よりさらに小さく端正であった。

世の中にはこういう方がいるのだ、先生と呼ばれる人とは、かくなる文字を書くのだ、と、

唖然とした思いを抱いたのであった。

やっと阪正臣の筆跡を手にすることができたが、これを前にして思いは今も同じである。

私は日記などおよそ書く気にならないのだ・・・。


文面は、依頼を受けた楷行書の手本を送ったこと。

また項羽が叔父に言われた言葉、「書は(以て)姓名を記するに足る(のみ)」を引き合いに出して、

手本など書ける人間ではないのだが、と謙遜している。

吉田氏への配慮を感じさせる文面でもある。










 
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【2013/08/24 23:07 】 | 鑑賞
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